10月28日(日)午後、下関市で開催された避難者交流カフェには、市内から支援者2名が参加されました。神奈川県から下関市へご一家で避難移住された横見さんが、「山口に移住して思うこと~東日本大震災、福島第一原発事故とともに大きく変わった日常」という題でスライドを交えて話されました。
東日本大震災の震災被害、津波の被害の大きさ、震災当日の首都圏の混乱がどれほど大きなものだったか、続く原発事故と東京をはじめとする東日本の放射能汚染、ご家族や職場の同僚に現れた体の異変、学校の対応、避難を決意されたまでのいきさつのほか、「原発事故避難者が求めるものは 家族の被ばくのない場所で暮らすこと、汚染地の人々が被ばくしないこと」と避難移住の思いも語られました。
事故直後の川崎市の学校からのお便り、あれ?なんだかおかしい。
移住の決断をされた経緯。
私も避難元の葛尾村の現状や県民健康調査のことなどを話しました。葛尾村は2年前に避難指示解除になりましたが、我が家の室内は空間線量で0.25μシーベルト、帰村して311以前のような暮らしは到底無理です。県民健康調査、311甲状腺がん子ども基金のことばども話しました。
参加のお二人は原発事故にずっと関心をお持ちの方々で、質疑、話題は多岐に広がりました。参加者が少なかったのは残念でしたが、少人数で和やかに話題を共有でき、貴重な機会となりました。
★この事業は赤い羽根共同募金の助成金を活用しています。