ドキュメンタリー「生きて、生きて、生きろ。」上映@YCAM

「生きて、生きて、生きろ。」
東日本大震災福島第一原子力発電所の核事故から13年半がたちました。福島では若者の自殺と児童虐待が増加傾向にある、またPTSDの影響が震災後何年もたってから発症する懸念もあるとも聞きます。
「過酷な体験の中、ここまで生きてきたことがすごいこと」。
 相馬市のなごみクリニックで、辛い経験を抱えた患者さんたちを受け止め、一緒に悲しんでくださる精神科医の蟻塚先生と医療スタッフを追ったドキュメンタリー。
山口市YCAMで9月28日~10月6日まで上映されます。
9月28日(土) 16:20〜18:13
9月29日(日) 14:45〜16:38
9月30日(月) 10:30〜12:23
10月2日(水) 10:30〜12:23
10月3日(木) 10:30〜12:23
10月4日(金) 10:30〜12:23
10月5日(土) 14:25〜16:18
10月6日(日) 12:30〜14:23

絶望の淵を歩く人たちと「次に会うまで死なない約束」を交わして…映画「生きて、生きて、生きろ。」が描く福島の医療従事者たち:東京新聞 TOKYO Web

東京新聞5月17日こちら特報部より、以下引用

津波で夫が帰ってこない女性、原発事故の避難中に息子を自死で失った男性…。東日本大震災福島第1原発事故から13年がたつ今も、不眠やアルコール依存など心身への影響に苦しむ人は多い。PTSD心的外傷後ストレス障害)が何年もたってから発症する懸念も。そんな現状を描いたドキュメンタリー映画「生きて、生きて、生きろ。」が公開される。登場する医療関係者らは、どんな思いで福島を支えてきたのか。(片山夏子)



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絶望の淵を歩く人たちと「次に会うまで死なない約束」を交わして…映画「生きて、生きて、生きろ。」が描く福島の医療従事者たち

絶望の淵を歩く人たちと「次に会うまで死なない約束」を交わして…映画「生きて、生きて、生きろ。」が描く福島の医療従事者たち

 

メンタルクリニックの患者は増え続ける

 福島県相馬市で精神科医をする蟻塚亮二医師(77)は2013年から、相馬市の「メンタルクリニックなごみ」で診察してきた。患者は増え続け、今は月850人を超える。「診療所には生きると死ぬのすれすれ、絶望の淵を歩いてきた人が来る」
 震災後の大混乱の中で性暴力にあった女性は、見て見ぬふりをする周囲に絶望し、生きる力を奪われて来院した。避難先を転々とした女性は娘に「いじめられるから、絶対に避難と言っては駄目」と繰り返し、原発事故を恨んだ。そんな中で娘は不登校になった。「どこに希望があるのか、未来がない状態」
 津波で夫を失い「夫が見つからないと私の人生は始まらない」と語った女性は、震災から7年後、激しい頭痛や悪夢が続き来院した。夜中に何度も目を覚まし眠れない。夕方や夜になると震災当時がフラッシュバックして涙が出る。典型的なPTSDだった。

◆何年も経ってから発症するのは戦争と同じ

 PTSDは半年以内に発症するとされているが、この女性のように何年もたってから発症するPTSDもある。蟻塚医師は震災前年に沖縄で、過酷な体験がフラッシュバックするなど「奇妙な不眠」に悩む高齢者に立て続けに会った。原因は60年以上前の沖縄戦だった。
蟻塚医師(右)が患者の話に耳を傾けるシーン=日本電波ニュース社提供

蟻塚医師(右)が患者の話に耳を傾けるシーン=日本電波ニュース社提供

 福島でも奇妙な不眠は起きていた。震災や原発事故が直接の原因や引き金となるほか、仕事を引退して時間ができたり、日常のふとした体験をきっかけにPTSDを発症する。震災前に原発で働いていた男性は作業中に大勢亡くなった事故を数年前に思い出し、「死体の臭いが鼻について眠れない」と訴えた。
 児童虐待やいじめも増加。若者の自殺率が全国一になった年もある。「大人も子どもも必要な心のケアをしないままでは、福島でも何十年か後にPTSDが多発する可能性がある」
 だが希望もある。誰にも話せなかったつらい体験を受け止め一緒に悲しむことで「震災後、初めて泣けた」という患者もいた。話を重ねるうちに凍り付いた心が解け、人間への信頼を取り戻した人も。そんなとき蟻塚医師は、診察室で互いに生きてきたことを喜び合い、患者とハイタッチする。「過酷な体験の中、ここまで生きてきたことがすごいこと。話してくれた患者に私自身が生きる勇気をもらい励まされている」