「動けば変わる」

Pさんは群馬県から山口県へ避難移住してきました。原発事故後しばらくしてから、原発事故による放射能拡散の事実を知りました。大量に放射性物質が降下した赤城山から、Pさんが住んでいた地域辺りへ強いからっ風が吹き降りてきます。Pさんはお子さん(現在4歳)や家族への健康被害が心配になり、インターネット上で放射能汚染による健康被害の実態を調べ避難移住を決意、昨年暮れに母子避難で山口県へ避難移住されました。約半年後に、ご主人もPさんに合流、今は家族三人で暮らしています。

P
さんがツィッター上でご自身の避難移住体験について連続ツィートしていたものを、ご本人の了解を得て時系列にまとめてみました。

 

l  日本なんて小さな国だけど、移住しなかったら知り得なかった事が多い。若い頃は東京に憧れて遊びに行ったりもした。でも住みたいとは思わなかったな。群馬も良いところだったけど、今は関東を出て本当に良かったと思う。色んな意味で。

 

l  寝室の窓の外では蛍が〜!息子氏興奮ぎみ() しばし3人で蛍鑑賞会

 

 

l  今でこそ同じ屋根の下に居る旦那様ですが、放射能防御や移住に関して何度も何度も喧嘩になりました。離婚の事もチラホラ話題にあがったし。でも私は諦めたくなかった。

 

l  この人しか居ない!と思って一緒になった愛する人。 そして子供を授かった時の嬉しさは今でも忘れられない。 Twitterで私よりも先に移住された方々の呟きに何度となく励まされた。

 

l  私も旦那様も父親の居ない家庭で育っているから、その寂しさは身を持って体験してした。だから同じ想いを息子にはさせたくなかった。

 

l  「健康で生きてさえいれれば何処でだってやっていけるよ。だから私について来て欲しい!」涙ながらに訴えた。

 

l  はじめの頃は「俺だけこっちに残ってもイイかな...」って言ってた。正直ね、離婚も過ったし覚悟はしたよ。

 

l  離れて暮らす間には息子も成長が目に見えていたし、そんな瞬間に立ち合えれる喜びは親ならではのモノ。確かに片親だって子供は育つけれど子供にしたら二人揃っていた方が嬉しいに決まってる。 勿論、DVとか例外を除いてね。

 

 

l  約半年間、身寄りのないこの地で不安になりながら息子と二人で寝起きしてきたけれど、旦那様も息子に会えない寂しさを押し殺して仕事をしてくれていた。

 

l  離れて暮らす時間があったからこそ、家族の大切さに改めて気付く事が出来たのだと思う。

 

l  女は命懸けで出産をするから子供を守ろうとする本能に長けるけれど、男は少しづつ親になっていく生き物。そう自分に言い聞かせて焦らない事にした。

 

l  そしたら自然と新しい生活を楽しむ余裕が持てるようになっていった。 そんな私と息子の変化に旦那様もこの地に対して安心感を覚えたのかもしれないな。

 

l  原発移住にあたり、ほんとうに沢山の方達にもお世話になりました。 直接恩返しが出来ない代わりに、このご恩を繋げていきたいと思っています。 

 

l  梅雨とは思えない程心地いい風が〜。 ウグイスも歌ってます

 

l  旦那様の移住から1ヶ月。新天地で初めての給料明細にガックリ肩を落とす彼。大丈夫、家族が揃って要れたら一番の幸せだもの。何とでもなるよ。私を信じて付いて来てくれた旦那様に本当に感謝。

 

l  鳥のさえずり、風に揺れる木々の葉音、小川のせせらぎ、力強くも優しい蛍の光自然の中で旦那様の心が少しでも癒されますように... 

 

l  バイトや転職を探すのに重宝するフリーペーパーは群馬に居た頃ほど見掛けない。気になる地へ下見に行くなら、市役所を覗いてみたり広報紙を貰って来るとイイかも。各地の移住支援情報では電話をして年間の気候状況なんかも聞いたりした。

 

l  空き家バンクも市町村によって様々で、内容もまちまち。 敷金礼金なしもあれば不動産屋さんにお任せの県も。

 

l  移住や引越しを考えている方の参考になればいいな。

 

l  動けば変わる。